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テレビ

プレゼントがスマホゲームの課金アイテムだってイイでしょ?! ~喜びや幸福感は「モノ」からではなく「情報」から導かれる~

更新日:

このあいだ昼のバイキングを観ていたら、またもや物議をかもすような議論がされていたのでシェアしたいと思う。その8月22日の放送では「ネット社会に怒れる人々」というテーマで、有名人によるSNS炎上商法、匿名の誹謗中傷などの議論をする回だった。

そのうちの一つの議論テーマとして、50代2児の怒りというのがあり「誕生日プレゼントにスマホゲームの課金アイテム それってどうなの!?」との事だった。




このコーナーでは、出演者の意見がプレートで提示されるほか、視聴者アンケートというカタチで「dボタン」でのアンケートの集計結果も提示されることになっている。結果から言うと、スマホゲームの課金は「ナシ」だという意見が多かった。




その「ナシ」という意見の例としては、せっかくお金を出してプレゼントを購入するのだから子供の成長に役立つと思えるモノにしたい、、とか、カタチとして残らないプレゼントは気が進まないから、、などというモノだった。

なかには「課金アイテムを利用することによって、ゲームを進行させるということには反対。でも、今のスマホゲームは課金ナシでも遊べるのだから、無料で遊べるように工夫することを考えるなら良い」という意見もあった。これはごもっともな意見だと思うけれども、このテーマからは少し論点がズレているという気がした。




結局、番組の総論としては「ナシ」となったのだが、僕としては非常に意外な結果だと思った。誕生日にゲームをプレゼントするというのは当たり前のハナシだ。実際に僕も小さい頃には「ドラクエ」だったり「マリオ」だったり買ってもらった記憶がある。

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今回議論されているのもゲームには変わりがない。そして、これらのゲームの性質上、初めは普通に無料でゲームを進行させられる。その後、スムーズにゲームを進行させるために課金したり、そもそも課金しないとゲーム自体が進行しないという場合もある。

でも、どちらにしても、無料でできるというのは導入部分であり、お試しサンプル的なモノだと思える。真にゲームを楽しむには課金してこそだとも思う。なので、課金して費用がかかったとしても、通常のゲーム機のソフトを購入するのと同義ではないだろうか。。




これに反論する人も出てきた。その主な理由は実物ではない、、というモノだ。モノとして残らないモノをプレゼントにするのはどうか、、という意見だ。せっかくプレゼントするのだから、カタチのあるモノをプレゼントしたいと思うのは当然ではないか、、という意見もあり、腑に落ちないワケではない。

しかしながら、通常のゲームソフトだとしても、ソフトというカタチはあるけれども、それが持つ本来の価値は、モノとしての価値ではないはずだ。ゲームで遊ぶ価値とは、そこで体験することや情報によって楽しいという感情を味わうということだ。

したがって、真の価値はけっしてカタチとして残るものではないのだ。であるとするならば、上述したカタチがあるのもないのも、全く同じだと言わざるをえない。




実際にゲームは飽きたら捨てるモノだと、僕は思っている。カタチのあるものである以上、捨てるとまではいかなくても、引き出しの奥底に眠ってしまうのがオチだろう。年単位で遊べるゲームなど、情報ひしめく現代ではほぼないと言っていい。

また、プレゼントとして食事に連れて行ってあげることもあるし、一緒に旅行する、、などといったケースもあるだろうと思うが、そのどちらもカタチとしては残らないモノだ。

あるいは、本をプレゼントする人も多いと思う。本にはカタチがある。でもその本ですらも言ってみれば、真の価値はそれが持つ情報にあるのであり、本を読むことで楽しんだり、知識を蓄えることもあるだろう。読み方によっては、あたかも自分が実体験したかのような気分になることもあるだろう。それらもすべてカタチあるモノではないが、本による娯楽や教育、体験を享受していると言える。




ここまでハナシが及ぶと、カタチあるものとは一体何なのだろうということになる。例えば、ネックレスなどの装飾品をプレゼントされたとする。これは確かにカタチあるものだ。

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ネックレスをプレゼントされると喜ぶ女性は多いのだろう。カラット数の大きいダイヤなどが入っていれば、なおのことだと思う。でも、それらのカタチがあるから嬉しいのだろうか、、ダイヤモンドが散りばめられているから喜ぶのだろうか、、と考えてみてほしいのだ。




ネックレスを身につけることで、オシャレに見えたりすることに満足し、大切な人からのモノを着用しているという喜びだったりする。あるいは、ほかの人がしていないようなモノを所持する優越感だったりするかもしれない。散りばめられたダイアモンドを自慢したくもなるというのも一つの感情だ。

・・ということになれば、このネックレスというカタチあるものでさえも、そこにある真の価値はカタチではないと言える。では何なのか?と考えると、体験や情報から得られる感情だろう。




喜びや幸福感というモノが得られる理由が、モノが豊富にあるから、、というだけではないことに着目すれば、意外と明快なことであり、たやすく理解できるのではないかと思う。。




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