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読書

百田尚樹小説「モンスター」で 母のエッセイが興味深い。。

更新日:

先日、百田尚樹さんの小説「モンスター」を読んでみた。実はこの小説は前々から気になっていて読んでみたいな、、と思っていた小説だったがドッシリとしていて文庫本とはいえども分厚い本なので、なかなか気軽には読み始められない本だったのだ。

僕は自己啓発本などはよく読む方だと思うが、小説などの類はもともとあまり読む習慣がない。でも、最近になって小説を読むのが楽しくなってきていたので、湊かなえさんや山田悠介さんの小説などを読んでいた。

そんなこんながあって、これを機に読んでみようかな、、ということになったわけだ。もともと小説などを読む習慣がなかったわけだから、もちろん何日も何日もかけてようやく読み終えることができたというほど苦労した。小説だと2~3日おいてしまうと、内容を忘れてしまってもう一度初めから、、ということにもなりかねないので少しでも時間がとれれば、積極的に読むようにした。

案の定、1週間くらいかかったか、、主人公が自分の容姿の醜さから整形手術を繰り返して行い、美貌を手に入れて醜かったころに受けた屈辱に対して復讐するというような捉えやすいストーリーだったせいもあってか、スムースに読み進められたのも良かったかもしれない。



感想としてはけっこう面白かった。。小説だったらなんでもそうかもしれないが、読み切ることさえできれば程度の差こそあれ面白いと言えるモノがほとんどだと思う。でも、自分の場合はなかなかどうして読み切るということができにくかったりするので、小説を読む機会が必然的に少なくなるというわけだ。分厚い小説といえば、数年前に読んだ「その時までサヨナラ」というのも読んだが、不覚にも最後には目がウルウルきて山田ワールドの世界観にドハマりしてしまったというのを覚えている。

今回も百田さんの世界観に引き込まれるようにして読み進めることができた。実は、百田さんの小説を読むのは初めてで、初めてなのに分厚い本にチャレンジすることになろうとは、、我ながらにアッパレというほかない。しかも読み切ることができたというのも今後に対する自信にもつながって小説を読むのが楽しくなっている自分に気づく。



一昨日は同じく百田さんの書いた「プリズム」を近所のブックオフで購入してきた。まだ読み始めてはいないが、ブックカバーを取り付けて温めている【?】ところだ。こういうのは読み始めが肝心だと思っていて、ある程度のページ数を読み切っていないと内容を忘れてしまうのもさることながら、世界観を理解するまで読み進められないとその後読み進めるのに支障があったりするのでちょっと身構えてしまうところがあるのだ。

でも、いったんそれをクリアしてしまうと、自分で時間を見つけては読むようになるのでそれは苦労しない。気付いたら自分から読んでいることに気づくことになる。というわけで、ある程度時間をたっぷりとれる時を見計らって読み始めようと思っている。



で、今回の記事では「モンスター」で気になったところ、というか、ちょっとした考察をしてみたい箇所があったので取り上げた。下記は気になったという箇所の抜粋。

母は二人の娘に愛情も関心も持っていなかった。彼女は夫も愛していなかった。自分にしか関心がない女だった。お茶やお花など様々なサークルに入り、毎日出かけていた。家にいる時は、いつも文章を書いていた。愛読している雑誌にエッセイを投稿していたのだ。何度か掲載された母のエッセイを読まされたが、ここに書かれているのは誰のことだろうと思った。そこには家族のために頑張る愛情に溢れた優しい母の姿が描かれていたり、愛のない不幸な結婚生活に耐えている薄幸の女が描かれていたりした。いずれも母の姿ではなかった。


父親に似て醜い容姿をもった主人公が母親に愛されなかったことを示す一文で、この母親という人が家族には無関心だったということが綴られている。僕が思うところというのは、この物語には直接関係のないことなのだが、他人から「これは誰のことなのか分からない」と言わしめるほどの変貌ぶり、これについて少し述べてみたいと思う。

文章だけでは誰のことなのか分からない、、ということはその人は完全に違う人になりきって演じきっているということであり、これは完全に周囲の人間を惑わすほどのモノだ。そしてそれを自分とは違うことを認識しながらではあるものの、演じきっているあいだは違う人になれるということにほかならない。



いま僕が書いている事実は、あくまでも演じる人間とその周囲の人間との関係について書いているのだが、これは自分に対しても十分に通用するほどのものであることを強調したい。自分はこういった人間だと思うからこその人格であり、自分がなりたい人格を自分が持っていると錯覚を起こさせることで、なりたい自分になれるということを書きたいわけだ。

要するに、自分の脳に錯覚を起こさせることにほかならない。「人間の脳は自分で強く念じることと、事実を区別することができない」と何かの著書で学んだ。



また、1960年に刊行されたサイコ・サイバネティクスで開発者であるドクター・モルツ博士はこういっている。自分の人格というものは、自分自身への思い込み(セルフイメージ)によって形作られているということだ。

たとえば、多くの人は自分はいろんな人と分け隔てなくいろんな話について話すことができるから、自分のことを社交的だという。しかしながら、彼はそれについては逆だといっていて、自分のことを社交的だと思っている、もしくはそのように思い込んでいるから、いろんな人と分け隔てなくいろんな話について話すことができるのだ、、と。

モルツ氏によると、多くの人が思っている順序とまるで逆だというのだ。自分がこうなりたい、こういう人間になりたい、などと思っていることをセルフイメージとして定着させた分だけ、それに近づこうと無意識レベルで行動するようになるという。こうなってしまうともう「努力」はいらない。なぜなら勝手に、自動操縦で、自分を理想の姿に近づける行動をするからだという。




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